ひろが語ると長くなる

本の感想書くために作ったはずのブログなのに割とながーく独り言呟いています。ストピや演奏の解説も当ブログで行ってます。

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ありのままでいいってこういうことかー!

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お題「#おうち時間

こうもお家にいると、自分のことを考える時間は増えます。
昨日はウエサク満月でした。
自分の過去と向き合うのに凄く適した満月のようでした。
最近自分の強みや個性、好きなことを考える機会が増えていたのですが、ふと思いました。

「私の強みって、ピアノや文章以上にそのまま接しても人に受け入れてもらえるところじゃなかろうか」

最近になって母は私のことを褒めてくれるように。
YouTubeの概要欄凄く良い」
「Otonal好き」
「ピアノの音柔らかくて綺麗だね」
こんなこと、子供の頃には言われたことなかった。
むしろ出来ないことばかりつつかれていた。
でもクラスメイトはそのままの私を受け入れ仲良くしてくれた。

朝礼のスピーチでピアノでこんな曲を弾けるようになったと言えば、わざわざ先生が音楽室を借りてくれミニ演奏会みたいなものを開かせてくれた。
(別に上手いわけではなかった)
運動が苦手で同じチームになったら勝てないのは皆わかってるし、泣かれたこともあったけど、責められることはなかった。
席替えのタイミングで今まで殆ど話したこともなくあだ名でも呼んだことなかった子に「●●ちゃん隣の席になろうよ」と声をかけたらそこから友達になれた。

何とも空気を読めず自由な人間だけど、そんな私でもいいんだなぁと思う。
その素の状態を親には出していなかったから、ダメ出しばかりされていた気がする。

素の状態を出せなかった頃は人と上手くいってなかったなぁ。

カフェ巡りしていたときも、ストピ行ってたときも、「話し掛けたいから話し掛ける」「仲良くなりたいから話し掛ける」みたいなスタンスだし、相手が引いたら「多分相性が悪いのかなー」とか「波長が合わない相手なんだろうなー」と思ってそれ以上は突っ込みません。
変に気を遣いだしたが最後、人間関係こじれます。
新卒のとき、仲良くしてくれていた面白くて優しい先輩との関係が崩れたのもそれが原因だったと思います。

仕事も誰かのためにを熱心にやると逆効果で上手くいきません。
「そこまでしなくていいよ」って言われる。
でも早く終わらせようとか、整頓したり先に準備したら自分が楽だからと自分のためにやっていくと何故か感謝される。
「やりやすく配慮してくれてありがとう」
「ちゃんと整頓していてわかりやすい!」
そんな意図は何もないんです。
不思議だ。私は私の仕事のことしか考えてないのに。

よく人間ってありのままでいいって言うけど本当なんだね。
嫌われちゃったら悲しいけど、取り繕った姿で好きになられても何処かで苦しくなっちゃうからなぁ。
もう自分のパターンに気が付いたから、人との接し方には迷わずには済むかな。